2007年08月06日
8/6 広島 祖父の体験
今日は、広島原爆の日です。
妻の実家が広島ということもあり、
この日、平和記念式典をTVで見ながら8:15には黙祷・・・
これが、我が家の毎年の行事になっています。
世界平和はいいけれど、
そもそも落とす必要のない原爆を使って民間人を大量に殺害した、
当時のアメリカという国家、政治、国民性・・・
こういったものに対する批判がないのには、大きな違和感を感じつつ、
それでも、そのような事情で亡くなった方の冥福を祈るのみです。
ここで、政治や主義・信条は語らないと決めているので、
そんな話は、ここまでにして・・・
せっかく世界に向けて発信する術を得たので、
今日は、以前、祖父に聞いた被爆体験を書き記したいと思います。
至って、まじめな話ですが、よろしければ、お付き合いください。
62年前の今日、祖父は爆心地に非常に近い場所にいました。
地元の方しかわからないかもしれませんが、
八丁堀交差点にある現・中国銀行のビルです。
地元の消防隊だったそうで、会議に招集されていました。
とある友人が、席を譲ってくれて、
そこに腰掛けて雑談をしていたそうです。
そのとき、原爆が落ちました。
友人の姿は、爆風と共になくなっていたそうです。
なぜ、祖父が助かったのか・・・、
譲ってもらった席がコンクリートの強固な壁の前だったからです。
その友人の前は・・・窓だったそうです。
とにかく家に帰らなくては・・・と思って外に出ると、
そこには、たくさんの水を求めて苦しむ人たちが・・・。
消防隊という責任感もあり、京橋川へ先導していったそうです。
ちょうど、縮景園のあたりに到着。
しかし、橋がなかった・・・。
仕方なく、川に飛び込んで、泳いで渡ろうとすると、
たくさんのもがき苦しむ人が、祖父の体にしがみついて、
助けてくれ・・・と・・・。
家族のために、それを泣く泣く、そして必死に振り払い、
なんとか川を渡りきり、家に戻りました。
後日・・・席を譲ってくれた友人が気になって、
再び、祖父は、その場所を訪ねました。
そこにあったのは・・・
その友人の大事にしていた短刀だけだったそうです。
最後に、祖父いわく・・・
「わしは生かされとる・・・」
生死の境目って何なんでしょう?
1日1日を大事に生きていかなければ、
決死の思いで命をつないでくれた先人に失礼ですよね・・・。
妻の実家が広島ということもあり、
この日、平和記念式典をTVで見ながら8:15には黙祷・・・
これが、我が家の毎年の行事になっています。
世界平和はいいけれど、
そもそも落とす必要のない原爆を使って民間人を大量に殺害した、
当時のアメリカという国家、政治、国民性・・・
こういったものに対する批判がないのには、大きな違和感を感じつつ、
それでも、そのような事情で亡くなった方の冥福を祈るのみです。
ここで、政治や主義・信条は語らないと決めているので、
そんな話は、ここまでにして・・・
せっかく世界に向けて発信する術を得たので、
今日は、以前、祖父に聞いた被爆体験を書き記したいと思います。
至って、まじめな話ですが、よろしければ、お付き合いください。
62年前の今日、祖父は爆心地に非常に近い場所にいました。
地元の方しかわからないかもしれませんが、
八丁堀交差点にある現・中国銀行のビルです。
地元の消防隊だったそうで、会議に招集されていました。
とある友人が、席を譲ってくれて、
そこに腰掛けて雑談をしていたそうです。
そのとき、原爆が落ちました。
友人の姿は、爆風と共になくなっていたそうです。
なぜ、祖父が助かったのか・・・、
譲ってもらった席がコンクリートの強固な壁の前だったからです。
その友人の前は・・・窓だったそうです。
とにかく家に帰らなくては・・・と思って外に出ると、
そこには、たくさんの水を求めて苦しむ人たちが・・・。
消防隊という責任感もあり、京橋川へ先導していったそうです。
ちょうど、縮景園のあたりに到着。
しかし、橋がなかった・・・。
仕方なく、川に飛び込んで、泳いで渡ろうとすると、
たくさんのもがき苦しむ人が、祖父の体にしがみついて、
助けてくれ・・・と・・・。
家族のために、それを泣く泣く、そして必死に振り払い、
なんとか川を渡りきり、家に戻りました。
後日・・・席を譲ってくれた友人が気になって、
再び、祖父は、その場所を訪ねました。
そこにあったのは・・・
その友人の大事にしていた短刀だけだったそうです。
最後に、祖父いわく・・・
「わしは生かされとる・・・」
生死の境目って何なんでしょう?
1日1日を大事に生きていかなければ、
決死の思いで命をつないでくれた先人に失礼ですよね・・・。